鈴木翠松軒は和菓子を作り続けて百余年。常に本物の味を追求して参りました。
二代目観助の修行時代、皇室御用達の和菓子製造に関わっていた経緯から、材料には常に最高品質のものを使用しております。どうぞ、その優雅な味をご堪能下さい。

四代目、鈴木一規
 会社設立 平成14年3月7日
 会社名 有限会社鈴木翠松軒
 代表取締役 鈴木一規
 資本金 300万円
 社員数 7名(含役員)、臨時社員10名
 主要商品 和菓子(餅菓子、最中、麩饅頭他)、無農薬有機栽培茶
 会社の経緯 創業は明治26年で現在の鈴木一規は四代目であり、これまでは家内工業的であったものを平成7年頃から本格的に和菓子屋としてスタートしてから今日に至る。


初代
鈴木三郎左衛門
鈴木翠松軒は明治26年(1893年)初代創業以来、現在の四代目鈴木一規に至るまで、数々の紆余曲折を経ながら、和菓子作りを続けて参りました。

「初代鈴木三郎左衛門」は明治9年、先祖代々藤堂家の家臣として仕えた武家に生を受けます。しかし、幕末から明治維新という激動の時代は幼くして父母を失った少年には余りに過酷でした。第一回土地改革により、所有する土地と財産の大半を失います。そのような中、始めたのが菓子製造業でした。

「二代目観助」は伊勢市の宇治山田商業高校を卒業後、17歳で上京、大手菓子屋で修行を積みます。昭和3年から7年間、東京の風月堂に在籍中、皇室御用達の和菓子を皇居に納入したり、年末には白装束に身を包み皇室の餅つきをお手伝いしたりしました。現天皇陛下が幼い頃、観助の持ってくる和菓子をとても楽しみにされていたというエピソードも伝わっています。
観助は和洋菓子の技術を身につけて帰郷。以来、鈴木翠松軒は本格的に菓子製造を始めます。昭和10年から菓子業は隆盛を極め、近くの大湊に度々日本帝国海軍の連合艦隊艦船が停泊すると手漕ぎボートで水兵が翠松軒の菓子を買いにやってきました。

「三代目鈴木秀幸」の少年時代、二見町は日本最初の海水浴場ということもあり、観光地として大いに賑わい、鈴木翠松軒は観光地の土産物屋としての性格が強くなり、父観助は息子の秀幸に菓子業の後を継ぐよりも公務員になれと言い、秀幸は伊勢市役所の職員となります。しかし、母親が49歳の若さで他界したことにより、三代目秀幸は昼は市役所勤め、早朝・夜・休日は菓子製造販売を手伝うという多忙な生活を送ります。

「現四代目鈴木一規」の時代に至り、二見町は観光地としてのかつての賑わいを失い、再び菓子製造業に力を入れるようになります。一規は高校卒業後、大阪の辻製菓学校で洋菓子製造の技術を修め、津市の清観堂で3年間修行、23歳のとき翠松軒に入ります。以後、素材の自然な味を生かすため保存剤を使わない和菓子が人気を博してお蔭様で順調に発展を続け、平成14年(2002年)3月7日、有限会社鈴木翠松軒として改めてスタートすることとなりました。

現在、皆様の暖かいご指導・ご鞭撻をお受けし、より良い製品作りを目指し日々努力精進を続けております。

二代目
鈴木観助

三代目
鈴木秀幸



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